価値観
子どもに指導していると感じる2つの流派
私はある意味性悪説の人間。
幼稚園時代は覚えてない
小学生時代は俺が休みの日に係を決める日があったが私不在の為延期
理由は勝手に決めると私が文句言って暴れるから
中学生時代は沢山悪いことした。
授業を放棄し、放課後は火遊び。ここには書けないような事もした。それがメイン。笑
高校時代はメンヘラ。
1人は寂しく常に誰かを頼りにしていた。自分で意思決定を下すことはなく常に誰かにアドバイスを求めていた。
後にその誰かは私の事があまり好きではない事が発覚し人間不信に
大学は受験を失敗しアホな大学へ
周りのほとんどの人を見下していた。
それでも今私は卒業した子供すら連絡をくれる。
多分これは自分が悪いことをして来たから。
出来ないことを知っているから人に優しく出来る。
世間一般でヤンチャな子、浮いてる子程私に連絡をくれる。
お前らさ、私はお前らが大好きだせ。いつも味方だよ
今日も頑張ろうな。
それだけを続けてきた。
心の底からのそれだけを…
マーケット感覚を身につけよう
あなたは身近にあるものの価値に気付くことが出来ますか?
幼児園児と我々大人が見る金塊の価値は違うのです。これは極端な例でつまり、我々の身近には様々な「価値のあるもの」が眠っているのです。大切なのはその価値に気付けるかどうか。その目を養う事こそがマーケット感覚なのです。
市場と価値とマーケット感覚
マーケットとは需要者と供給者がお互いのニーズを充たしてくれる相手とマッチングされ価値を交換する場所
どんな価値が誰と誰の間で取り引きされるかを直感的に理解出来れば市場の理解に近づくことが出来る
では、一体価値とはどういった事なのだろうか?
この本ではお米とスイカに例えられています。
お米とスイカをそれぞれ独占販売したとしましょう。
するとお米は独占販売により値上げをし、より多くの売り上げを伸ばす事が可能ですがスイカは独占販売だとしても値上げをし売り上げを伸ばす事は出来ません。
これは価値の違いです。
お米とスイカは「食べ物」というかくくりですが細かくみると同じではないのです。
食卓に必要不可欠なお米と無くても我慢出来る(潰しが利く)スイカは違う価値となります。
お米は食卓に欠かせないものなので価格を上げても需要者は購入をします。しかし、スイカは値上げにより需要者は購入を諦めせる可能性が出て来ます。
これがお米とスイカの「価値」の違いです
一見同じ様な価値のお米とスイカですが実際は大きく違うのです。
こういった価値の違いに気付けるかどうかはマーケット感覚を身に付ける上で非常に重要ななって来ます。
また価値は変遷します。
常にアンテナを張り巡らせ時代が求める価値の変遷に目を向けることも大切でしょう。江戸時代の様にお米だけが主食の時代とパンやパスタなどお米に変わる主食のある現代ではお米の価値は大きく異なります。時代の変遷を理解し新たに求められる価値に気付ける力を身につける事が大切になります。
今後あらゆる面において市場化が進みます。
それに伴いマーケット感覚の重要性も高まります。
マーケット感覚を身に付けようを読みこれからの市場にアンテナを張り巡らせられるようにしましょう
アウトプット大全
社会人になり、自分の経験や学の浅さ、ボキャブラリーの少なさなどに非常に幻滅していた。社会人としてまともな言葉遣いも出来なければ挨拶や基本的なマナーも知らないのだ。(学校では教わらなかったし…笑)
そんな自分には嫌気が刺していたので少しでも学びを得ようと本をたくさん読む習慣をつけた。読みやすく頭に入りやすい本もあったが多くの本は正直、頭に入っていないのも自分で分かっていた。本をたくさん読めば読むほどふと本を見た時に「この本には何が書いてあったっけ?」という状態の物がたくさんあった。
そんな感じではあったが本の購入は続けていた。
そんな時出会ったのがこの本だ
「アウトプット大全」
著 樺沢 紫苑 ¥1450+税
サンクチュアリ出版
この本を読み、内容をどうしても記憶に定着させたいと感じた事。そしてここで紹介されていたのは「アウトプットこそ正義」という事
いくら読書をしてインプットしようとアウトプット無しには自分の財産として読書で得たものは定着しないのだ
運動性記憶というものがある
要するに学んだものを記憶に定着させるには「書く」「話す」といった運動神経を使う事で脳の海馬という所に重要な記憶として保存されるのだそう
今私はブログを通じてアウトプットをしている。運動神経を使いながら。。。
アウトプット大全
皆さまもいかがでしょうか?